はじめまして!31歳で「乳がん」になった母です
皆さん、はじめまして!真生(まい)と申します。
この度は「30代がんになった母の進める道」にお越しいただきまして有難うございます。
まずは簡単な私の自己紹介をさせていただきます。
❶31歳のクリスマスに乳がんの告知を受けて人生観が180度変わった人
❷乳がんになる前と後に出産と育児を経験した人
❸人材系広告会社13年勤務、第二子の育休中にブログに目覚めた人
私は課長2年目を迎えた頃に夫と婚約中でしたが、当時の上司に「これから更なるキャリアアップを!」と煽られていたタイミングで妊娠発覚。長女の出産を経て、1年3ヶ月の育休期間は『新卒から10年間積み上げてきたキャリアが崩れてしまうのではないか?』という焦りが強くありました。
そして31歳の春に復職。仕事と家庭の両立に試行錯誤しながら半年ほど経過して体調を崩し、なんとなく人間ドックを受診した際に右胸の腫瘍が見つかりました。
そこからの1ヶ月は「おそらく良性だろう。私ががんになるわけない。」と言い聞かせ、自分が31歳でがんサバイバーになるライフプランなんて一切考えたくもありませんでした。
しかし、2019年のクリスマスに乳がんの告知を受けることになります。
現在、私は35歳。がんサバイバーとなり4年目を迎えましたが、がんになる前と後の選択で経験したことを発信していきたいという想いが強く芽生えました。
自分の経験が誰かひとりでも多くの女性のため、またそのパートナーや友人、家族の参考になればと思いブログを綴っていきます。
「当分、妊娠はできません。子作りは控えてください。」乳がんを告知された同日に、主治医からこの言葉をかけられました。主治医はとても優しい先生でしたので、かなり気を遣いながらもっとオブラートに包んで伝えてくれていたとは思います。
しかし私は、がんという事実にショックを受けていたところで更に追い討ちをかけるような先生の言葉が『もう子供を産めない』というメッセージに自動変換され目の前が真っ白になったことを今でも鮮明に覚えています。
ただ先生は、そのあと「大丈夫。二人目が欲しいのであれば、妊孕性温存治療という方法があります。」と。この時は何を仰っているのは全くわかりませんでしたが可能性が0%ではないということは理解しました。
乳がんになる前の出産は、タイミングや運に恵まれ正直妊娠することの難しさについて深くは考えられていなかった。ただ乳がんになった後の出産で、如何に命を誕生させることが奇跡的なことなのか身をもって実感することができました。
「二人目つくらないの?」乳がんになる前の私は、こんな質問をされても何とも感じませんでした。友人同士でこの会話がされていても平然とした顔で眺めていました。でも今の私は「子供をつくる、つくらないは夫婦で決めること。当人以外が聞くことではない。」と返します。
例え自ら誰かに聞くことがあっても、その夫婦を深くまで知れている信頼関係がある人のみ、自分の経験が参考になるのではないかと確信できる相手だけです。
私のブログでは『第二子の妊娠を絶対に諦めない』と覚悟を決めて乳がんの手術と治療に向き合ったこと、右乳房全摘出の直後に妊孕性温存治療という方法を学び、取り組んだこと。
その3年後に乳がんの治療を一旦中止、妊活から出産までに経験したことをお伝えします。
私は新卒からずっと同じ会社で働いてきました。
入社10年目の頃に職種は変わったものの、勤務地や部署も変わっていません。20代の頃は異動希望も出していましたし、転職を考えたこともありました。
しかし結婚や出産を経て、自分だけではない夫や子供の人生を支えることで、いつからか日常の変化を拒むようになったのです。
独身のうちは、前のめりで様々なことに挑戦した方が良いが、家庭をもったら違うという思い込みに逃げていたのかもしれません。
ところが第二子の妊娠がきっかけで考え方が大きく変わったのです。
環境を変えることは容易なことではない。これは間違いなくその通り。
でも環境を変えるか変えないかは自分にしかできない。
一度きりの人生だからこそ新しいことを始めたいという気持ち、
そして人生のためになる新しい出会いを見つけたいという感情が35歳で芽生えました。
全くのブログ初心者ですが、どなたかの力になれれば本望です。どうぞ宜しくお願い致します。