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出産・育児

2歳の長女へ「乳がん」を教える難しさと乗り越え方

pinkcancer

ママはバイキンマンと戦ってくる!離れ離れの14日間

乳がんの告知が2019年12月25日、翌日には主治医が右胸全摘出と再建(切除した右胸にエキスパンダーを挿入)の同時手術へ向けたスケジュールを全て調整した上で直接電話をかけてきてくれました。スピーディーに動いてくれる医師か、進行が早いタイプのがんもあり対応は早いに越したことはありません早期発見からの病院や主治医選びも重要なポイントです。

すぐに治療に入ることが決まり、手術は3週間後に決定。変に立ち止まることなく主治医が導いてくれたからこそ腹を括ることができました。

入院生活は、2〜3週間ほど。すぐ頭に浮かんだことは1月末の長女2歳の誕生日までに退院できるかどうか。何が何でも一緒に過ごしてあげたい、この願いだけが私を前向きにさせました。

ただ母親と半月も離れて暮らすことを1歳11ヶ月の子供にどのように伝えるべきか?

これは、めちゃくちゃ悩みました。がんなんて言っても分かるはずがないですし、下手に教えて保育園や外出先で「ママ、がん!」なんて連呼されてしまったらどうしよう・・・と、そんな心配もありました(汗)

また毎日一緒に過ごしてきたママが側から離れたら間違いなく夜は泣き止まないことが想像できましたし、夫は仕事もあるためサポートしてくれるお互いの両親も70代のため可能な限り負担をかけないようにしたかったのです。

長女へ離れて暮らすことを受け入れさせるべく入院当日までに私が毎日伝えたこと

ママのからだ(長女の手を自分の右胸にあてて)にバイキンマンがいるんだって。アンパンマンと一緒に戦って元気100倍になって帰ってくるからね!

この言葉を、お風呂に入るタイミングで毎回話しました長女の手を自分の胸にあてて伝え続けました。なぜなら退院後、私の右胸には大きな傷が残ります。長女が私の右胸が変わった姿を見た時にトラウマにならず受け入れられるようにしたかったのです。私の胸を見て触れ、そこに病魔がいるということを認識させたかったのです。長女には「ママは病気だけど元気になって戻ってくる」このメッセージは何となくですが伝わっていた気がします。

リハビリ生活、母の変わり果てた姿を見せるべきか

手術は5時間に及び、目覚めて2日間は寝返りをすることすらできず上半身の激痛に耐え続けました。痛みの種類は違うといえども産後よりもキツかった。私の場合、右胸全摘出と同時に再建手術も行ったのたため、医師曰く摘出自体は酷い痛みは残らないそうなのですが再建は大胸筋を拡げ持ち上げた下にエキスパンダーという組織拡張器を留置させることでの後遺症が強かったと聞いています。

ただし、いつまでも寝たきりという訳にはいきません。看護師からは、術後3日目より歩き出すことをすすめられ何とか痛みを堪えつつベッドから立ち上がる練習を行いました。そして自力でトイレに行けるようになるミッションも達成するよう本格的なリハビリ生活が始まりました。

この頃、毎日欠かさずお見舞いにきてくれていた夫から「そろそろ長女に会うか?」というLINEが来ます。長女とは手術前日から顔を合わせていなかったので私もすぐに会いたいという気持ちがありました。『歩けるようにはなってきたから会えるかも』と感じ、安易にお見舞いへ連れてきても良いと夫へOKを出しました。

コロナ禍前(2019年1月)なので面会は問題なかったのですが、乳幼児は病室に入ることがNGとされる大学病院だったため長女と会えるのは病室から少し離れた病棟ラウンジのみ。

夫から現地に到着したと連絡を受け、点滴を身につけながら病室からラウンジまで50mほどの廊下を10分ほどかけてゆっくりと向かいました。必死に痛みを耐えながら。

そしてラウンジへの自動ドアが開き、感動の再会!!

と思ったら急転直下、久しぶりに私を見た長女はパパにしがみつき後ずさりからの大号泣

まさかドン引きの再会となりました。

当時の私は顔も相当浮腫んでいて、思い返せば一生懸命に歩く姿も側から見ればゾンビのようだったのかもしれません。

2歳目前の我が子に「ママだけどママじゃない」いつもとは全く違うという印象を明らかに感じとられた悲しい反応でした。

重ねて辛かった思い出は、抱きしめてあげることができなかったこと

術後は右腕を一切あげることもできませんし、医師からは予め『お子さんを抱っこしたり上から胸を抑える行為は控えるように』と忠告を受けていました。

5分ほどすると私の声や態度で安心をしてママだという確信はしてくれている様子でしたが、彼女から歩み寄ることはなく私からもハグを求めることができずに時間は過ぎました。座っていることすらもキツかったので夫も気を遣い、この日の面会時間は15分で切り上げました。

果たして、当時このタイミングで長女に会うべきだったのか?

私の中では失敗談として捉えています。もう少し子供が成長していたら受け入れやすかったのかもしれませんが、まだ2歳にもなっていない子供からしたら不安を与え怯えさせてしまったような感覚に陥り、病室に戻った私は非常に落ち込み後悔をしました。

もちろん長女と久しぶりに会えた私にとっては励まされた点もありましたが、それよりも長女へ変わり果てた母の姿を見せるべきかどうかは、もっと真剣に考えるべきであったと反省しています。

6歳になった今も覚えてくれている勝利の勲章

現在、右胸ど真ん中には10㎝ほどの傷跡が残っています。私自身、初めて見た瞬間は目を背けました。右胸は再建手術で膨みはあっても乳腺の中にがんが見つかったことで乳頭ごと切除されており傷だけではなく、乳頭がない痛々しい傷が残った胸を夫にも長女にも絶対見られたくないと感じました。

そんな私の気持ちとは裏腹に、退院して1ヶ月ほど経った頃それまで夫や両親とお風呂に入っていた長女が私と一緒にお風呂へ入りたいと言い出します。

『いよいよ来たか・・・でも、いつかは見せなければいけない』『なんのために手術前に毎日胸に手をあてさせ伝え続けていたんだ』と泣かれることを想定して思い切って長女とお風呂に入りました。

いざ、ママの胸とご対面!!

不思議と長女は全く泣くことなく、私の胸をじっくり見つめたあとに指を差して

「ママこれ(傷)どうしたの?」と、すぐに聞いてきました。

バイキンマンと戦ったんだよ!

すると、長女はすぐに「ママ勝ったの?」と聞き返します。

勝ったから、もう大丈夫!元気100倍!!

この会話をした日から長女は私の胸を見ても何も驚くことなく、今では全く気にかけることなく一緒にお風呂に入っています。

現在は、小1で6歳になる長女ですが私が入院していた日々のことを覚えているか聞くと

「覚えてるわけないじゃん!小さかったし忘れてるよ!!」と否定されながらも(笑)

「ママがバイキンマンと戦って勝ったことは覚えてるよ!ずっと言われてきたからね!」と笑顔で話してくれます。

そして右胸の傷が“がん”という大きな病気でできたものということも理解はしています

まだ6歳ではありますが、この言葉を心なしか分かっている今が在ること。

これは私たち親子にとって、一つの壁を乗り越えられたと考えています。

最後に当時の私は自力で長女へ病気のことを伝えようとばかり考えていましたが、治療の副作用もがんの種類によって異なるため、術後お子さんに上手く症状を伝えるためには絵本を読み聞かせるという選択肢も悩みの解決策であったと今更ながら感じています。

ABOUT ME
真生
1987年生まれ。リーマンショック直後の氷河期時代となる2010年に人材系広告会社に新卒入社し13年勤務(現在は第二子の育休中)、第一子の産育休→復職後の2019年1月に乳がんの告知を受ける(当時31歳)。35歳となり、女性のキャリア形成、出産、育児、そして病気のことについてのブログをスタート。 趣味はお酒(沖縄県知事認定の泡盛マイスター取得済)、旅行。
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