子供2人目どうする?30代の妊孕性温存療法について
上記の写真は、2022年11月に生まれた瞬間の次女です。長女の出産も一生忘れがたい時間でしたが、この時も違った感動がありました。3年越しの誕生秘話です。
2人目が欲しいかどうか?夫婦のみぞ知る事
『2人目つくらないの?』こんな言葉をかけられた女性は少なくないのではと思います。私もその一人で長女が生まれて1年も経たずして、『次の子いつ頃?』なんて言われたこともありました。
まだ生まれたばかり、1人でも大変なのに2人目なんて。
復職後の環境を考え中途半端に戻るよりも、このまま次の妊活に励んでしまった方が現場へ迷惑をかけないのかな?とか・・・いや、連続で育休なんて、どんどん後輩たちに先越されていくじゃん!とか・・・様々な気持ちと葛藤しながら過ごしていた記憶があります。
今思い返せば何をそんなに焦っていたのかな?と思いますが、同じ会社に10年以上いると最近は後輩たちが育休に入る時に2人目のタイミングについて相談を受けることも増えました。
働く女性が母になるときに直面する悩みの一つですよね。
私と夫は、長女が生まれたあとに次の子について自然と考え話し合っていました。
こうした時間を振り返ると結構大事だったのかなと思います。
お互い一人っ子だったので、何気なく『自分は、きょうだいって欲しかった?』と価値観をすり合わせて、きょうだい児のメリット・デメリットを共感していたからこそ出した答えは『長女に、いつか妹か弟を。じゃないと私たちが死んでしまったら従兄弟姉妹もいないから結婚しない場合は近親者が消える!』ということでした。
結論、子供に関しての方向性は、周囲に『子供つくらないの?』と聞かれても一切気にしないことが一番です。子どもが0人でも1人、2人でも、子供をつくるかつくらないか全ては夫婦の考えで他人の価値観を織り交ぜる必要はありません。幸せの形は人それぞれで子供ができるかどうかも夫婦にしか向き合えない。
重要なポイントは将来の子育てについて話しあえる夫妻か?
私は何となく日々の会話で方向性を合わせられていたからこそ、乳がんの治療に入るタイミングで大きな決断をスムーズに進めることができました。いざという時にベクトルを合わせられるかが大事なのです。
妊孕性温存療法で決めた2人目の覚悟
妊孕性(にんようせい)/妊孕性温存療法・温存後生殖補助医療とは
- 妊孕性とは、妊娠するために必要な能力のことをいいます。妊孕性は、女性にも男性にも関わることです。妊娠するためには卵子と精子が必要となり、卵巣、子宮、精巣などが重要な役割を果たしています。がん等の治療では、手術や抗がん剤治療、放射線治療などによる影響で、妊孕性が低下したり失われることがあります。
- 妊孕性温存療法とは、将来自分の子どもを授かる可能性を残すために、がん治療の前に、卵子や精子、受精卵、卵巣組織の凍結保存を行う治療のことです。また、本事業では、妊孕性温存療法により凍結保存した卵子や精子、受精卵、卵巣組織を用いて、がん治療後に妊娠を補助するために実施される治療を、温存後生殖補助医療と呼んでいます。
31歳で乳がんと告知され「当分は妊娠できません。子作りは控えてください。」と主治医に言われ頭が真っ白になった私ですが「大丈夫。2人目が欲しいのであれば、妊孕性温存治療という方法があります。」と解決策を提示いただけたことが全ての始まりでした。
にんようせい?意味わかんない。私もう子供産めないかも。
告知のタイミングでは、感情が入り乱れて冷静さを失っていたものの妊娠できる可能性が0%ではないということは理解していました。そのため、手術する直前で落ち着いて主治医に改めて質問をしました。
にんようせいなんちゃらって何ですか?
もう1人お子さんが欲しいと思うのであれば、今(31歳)の卵子を旦那さんとの受精卵として凍結することができます。がんが再発する可能性が低いといえるタイミングで数年後に妊活に入れます。ただし、術後に受精卵を凍結するか考える時間は数日しか与えられません。まずは、ご主人とよく話し合ってください。
主治医曰く、右乳房全摘の手術をしたら、すぐに再発をしないようにホルモン療法にとりかかるのですが限られた短期間であればホルモン剤を摂取することは延期して受精卵凍結を試みればいいのではないかという提案でした。
妊孕性温存療法を実施するか?の決断は数日しか考えられる余地を与えられなかったのですが、私は一度がんと宣告されて『もしかしたら自分は死んでしまうかも』と考えたときに、より一層長女にきょうだいを残してあげたいと感じていました。
夫にも相談をして私の身体が手術後に耐えられるのであれば受精卵凍結へ踏み切ろうという答えに迷うことなく行き着きました。
1日1本、排卵誘発剤の注射を打ち続けた9日間
右乳房全摘・再建手術から退院して1週間後に、いつ生まれるか約束のできない第2子の妊活が始まりました。私の主治医は乳腺外科の医師であったため、同じ大学病院内の生殖外来の医師を紹介していただき採卵に向けて動き出すことに。
受精卵凍結は、排卵日を見計らって次の生理が訪れる前に採卵する必要があります。
また私の場合、採卵できる数自体は多かったのですが“多嚢胞性卵巣症候群”というケースだということが事前の血液検査でわかり、受精しても問題のないほどの卵を1つでも多く採卵できるように毎日誘発剤をうつ方針が出されました。
多嚢胞性卵巣症候群 (polycystic ovary syndrome : PCOS)とは、「両側の卵巣が腫大・肥厚・多嚢胞化し、月経異常や不妊に多毛・男性化・肥満などを伴う症候群」と定義されています。液体で満たされた袋状の病変(嚢胞)が卵巣に多数生じ、卵巣が腫れて大きくなることにちなんで名づけられました。女性の約5~10%にみられ、一般的な不妊症の原因となっています。
排卵誘発剤は注射器と薬を処方してもらい自分でお腹に注射を挿せれば通院しなくてもよかったのですが、もし失敗してしまったら?と、非常にビビっていて無理でした・・・そして全ての治療も保険適用外で高額な費用を要するため自力でやるのではなく看護師のお力添えも受けたかった点が正直な気持ちです。
大手術をして退院した後に、毎日病院へ通わなければならない期間も辛かった記憶があります。右半身は思うように身体を動かすことすら痛みが強く残っていました。
2019年2月上旬、毎日決められた午前中の時間に大学病院へ出向き、9日間排卵誘発剤を打ち続けました。
そして、いよいよ採卵当日。
部分麻酔をうたれて私の意識は朦朧としていましたが、30分ほどで施術は終了。
1週間後に生殖の医師より報告を受けました。
左右の卵巣あわせて20個ほどの卵子が作られていましたが、そのうち顕微受精ができるサイズの卵子は6個採卵できました。そして受精卵として凍結できたものは3個でした。
1ターンの排卵で20分の3。受精卵の状態についても詳しい話を夫婦で聞きました。
私たちの受精卵は3つ、実際の写真は落花生のような形状で早くも二頭身に分かれている印象が見受けられたことをハッキリと覚えています。
もう命は誕生している。いつか必ず出会える日まで待っていてね。
こうして次女は2019年から3年眠り、2022年に乳がんのホルモン療法を一度ストップして妊娠、同年11月に出産となりました。
胚移植(凍結した受精卵を子宮に戻す)から妊娠できるまでに、生殖の医師には
「今回妊娠できる可能性は10%ほど」と言われていましたが、
無事に授かることができたことは運が良かったとしか言いようがありません。
唯一、運を味方につけられた理由をあげるのであれば夫婦でぶれない方針があったからこそだと思います。
そして自分が悔いのない選択をしたことに尽きます。
一番に長女のことを考えて2人目を望みましたが、例え授からなかったとしても仕方ないと割り切れていました。なぜなら乳がんの手術をした直後に採卵から体外受精まで頑張ったのだから。
夫婦でやれることは全てやりきったと胸を張って、がんを振り切ったからです。
この想いが力になり、例え第2子を授からなくとも前に進もうと考えられました。
女性が子供を産める時期は限られています。
自分の意思、そしてパートナーの意思を尊重しつつ動いていくことが必要です。
若いから健康であるという保証は一切ありません。
子供もいる将来を考えられるカップルの場合、できれば自分の身体に何かが起きる前にパートナーと意見を交わし真剣に向き合うことが大切です。